概要とともに創業者の遍歴について

作業中の様子

創業者武田六郎は岩手県沼宮内の出身。九人兄弟の六番目として生まれました。石材業に携わるのは30歳になってから。昭和49年にそれまで10年間勤めた製鉄会社を退職し日本三大石材産地のひとつ愛知県・岡崎市の㈲内藤石材で石工になるための修業を始めます。

現在も製造部門責任者として加工を続けています。

昭和50年には岡崎職業訓練校・石材科に入校。ここで墓石に関する全ての技術、及び庭灯篭加工、大谷石・伊豆石での門柱・塀の加工・据付け、建築貼り石加工・据付けなどを習得しました。

昭和53年に岡崎での修業を終えた後、青森県十和田市の(有)八重樫石材店にて2年間勤めます。


沿革

昭和55年独立し、青森県平内町に工場兼店舗を構えました。
昭和55年4月武田石材店創業
昭和60年4月国道4号線沿いに移転
平成5年1月有限会社 武田石材店として登記
平成8年4月屋内展示場を現在の場所に開設

武田石材店の存在意義とは

武田石材店は操業当初より、原石を仕入れての製造・小売・施工まで一貫して行ってきました。その精神は今でも受け継がれ、そして後世にも繋いでいく所存であります。

石屋の役割は墓守といわれ、自分で手掛けたお墓は生涯にわたって責任を持ち補修などをしながら、次世代に継承される手伝いを生業としていました。

時代が変わり、石屋の仕事は各部署が分業化され、効率の悪いところは外注に頼る体制が一般的になってきました。どの業種にも共通していることですが、技術は海外に輸出され国内は空洞化、円が弱くなると国内で何とかしようとしてもあわてる始末です。石材加工はデザイン性が上がれば上がるほど、人の手を必要とします。そして長い経験を必要とします。全てを機械化するのはかなり困難なのです。

作業中の様子

一時、石材業界にある職人気質は時代に合わないとされる風潮がありました。職人気質よりも経営の効率化、売上優先の風潮がありました。2008年9月のリーマンブラザーズ破綻に端を発した世界同時不況はある意味ではチャンスです。

他者に対して自分が何が提供できるのかを見つめ直す時期に来ています。お客様の心情を無視した売り上げ至上主義ではなく、永代にわたってお墓を任せていただける技術を保有し、経営努力によるコスト削減と販売価格の安定を信条に営業を続けてまいります。

PAGE TOP